コロナ禍後社会はどうなる(第2回:変わる「観」が変える社会)
新型コロナウイルスの世界的流行は、世界を大きく変えたと言われています。
いま私たちも、その新しい世界の中でもがき苦しみ、ときには喜び楽しみながら流れに身を委ねている状態です。
では、この流れはどこに行き着くのでしょうか。
コロナ禍が終わったとき、この日本社会はどうなっているのか、何が求められていくのか、働き方はどう変わるのか。
コロナ禍後社会を研究している社会文化研究家 池永寛明氏にインタビューしました。
連載でお送りしていきます。
目次
プロフィール
池永寛明(いけながひろあき)
社会文化研究家(元 大阪ガスエネルギー・文化研究所所長、元 日本ガス協会企画部長)
・日本経済新聞 note 日経COMEMOキーオピニオンリーダー
(https://comemo.nikkei.com/)
・大阪大学 Society5.0 実現化研究拠点支援事業 (一社)データビリティコンソーシアム 事務局長・well-being部会会長
堺屋太一研究室所長
・大学・企業等向けの講演講義多数
・著書(日本再起動」「上方生活文化堂」など)
行動様式の変化から場の変化へ
さて、前回はコロナ禍という「リセット」を契機として、社会的な価値観の大きな変化が行動様式を変えていくとお話ししました。では、この行動様式の変化はどこに現れたのでしょうか。
それは仕事、すなわち「テレワーク」や「ホームオフィス」という形を起点にして現れ、変化が始まっています。つまり、「テレワーク」「ホームオフィス」がこれからどうなっていくのか、お客さまごとにどのように対応し、どう変わっていくのかが、これからの社会を考える上で大きな論点になるのではないでしょうか。
コロナ禍に入って3年目のいま、テレワークにシフトするところと、テレワークから元に戻すところとが鮮明になってきています。私たちは、今、大きな岐路に立っているのです。
では、このコロナ禍以降の大きな基調となるものはいったい何でしょうか。それは、「都会・都心」にある会社を中心に取り組んできたもの、会社を起点にやっていたものが、近所・郊外・地方も含んだ「家中心へ」という形に変わっていくことだと考えています。
前回、技術によって場と時間の構造変革が生まれ、その結果、都市や産業や経済、すなわち社会を大きく変えていっているとお話ししましたが、まさに通信・ネットワークといった技術の進歩が「テレワーク」のような働き方を生み、「都心と郊外」のような社会の関係性を変えていっているということなのです。
では、都市・郊外・地方という区別がなくなり、会社中心から家中心に変わっていくと何が起きるのでしょうか。
おそらく、オフィスの環境や都市における都心のあり方、住居の形態や近所の形態もガラガラと変わっていくと考えられます。
もちろんこれらは一律に変化していくというわけではなく、個々の関係性・歴史性・地域性によって差を生じながら変わっていくことになるでしょうが、むこう10年ぐらいに関しては、このような流れが来るものと考えています。
そのようななかで、「テレワーク」「ホームオフィス」が社会の関係性を変えていくというのは先述した通りですが、それは「会社」や「家」のような1つの場所の変化だけではなく、その場所を取り巻くものの変化も一緒に起こると考えられます。
たとえば、都心のオフィス街では飲食店や社員食堂など、旺盛なランチ需要に応えられるだけの供給がなされています。ですが、テレワークを行うのが郊外の住宅地であれば、飲食店がなくランチ需要が満たされない可能性があります。そうなると、需要に応じて郊外の住宅地にお店や飲食店が増えていく可能性もありますし、同時に都心の飲食店はどんどん減っていくかもしれません。
このとき重要なのは、都市の機能がそのまま郊外に代替移転するだけでなく、生活者の価値観の変化を踏まえた新たな需要・新たなものが発生していく点です。
「テレワーク」による「会社中心から家中心へ」という価値観の変化に応じて、「都市と郊外」の関係性が変わり、それに伴って新たなものをうみだしていく、ということがポイントなのです。
キーワードは「社会の関係性を変えていく」。この意味合いを、よく頭に入れていただきたいと思っています。
変わる家庭のカタチ
テレワークが行われるようになって起きた、目に見える大きな変化としては、会社、そして家庭の形が挙げられます。
社会的な価値観の大きな変化が起ころうとしているというのは前回から繰り返し申しあげている通りですが、その代表的なものが「家庭・家族」にまつわる部分ではないでしょうか。
テレワークをすることで濃厚な時間を取り戻しつつある家族も多いと思いますが、1ヶ月…半年…1年…2年…3年…と経って、いまやそれが普通になっているのではないでしょうか。そして、親と子とは、家族とは何か? 働くとは、会社とは、学ぶとは何か? そして、地域とは、近所とは何か? このように様々なことをそれぞれの家庭が根本的に問い直すことで、それぞれの定義が変化していっています。
そのなかで、家族が一緒で、幸せで安全で健康的で、便利で快適で、自身の成長の実感が得られて、みんなが一緒に過ごしたい、過ごして行きたいという価値観が高まっているのではないでしょうか。
いま、これまで多くのドラマや漫画で描かれてきたような、「平日は残業、土日は接待」という「年中会社中心という呪縛」からどんどん解放されていこうとしています。これからは、少しずつでも確実に、1日の中での「中心の場」が転換され、「会社中心から家中心に」変化していくのではないでしょうか。
さらに言えば、いまや本人だけではなく、配偶者も、子供も、家族みんなが家の中でテレワークやリモート授業しているようなことも決して珍しい話ではなくなりました。そして、親と子、家族の愛情の発露の場が復活するようなことがこの3年で起こっています。家庭が1日で1番長くいる場所となり、家族みんなが一緒に過ごす時間が増えているのです。
もちろんこれは世の中一律、というわけではありません。個々人の家族環境や年齢によっても変わることでしょうが、このように家族のカタチの変化を捉えることも重要なのではないでしょうか。
溶け合うワークとライフ
テレワークが行われるようになったことで変わったことの1つに、「自分時間」が挙げられます。
人によっては倍増しようとしているこの「自分時間」は、使い方次第でその人の人生や、その人を取り巻く家庭・会社・地域が大きく変えると言うと、イメージは湧くでしょうか。
テレワークを行うと、まず自分、すなわち働く側(学生なら学ぶ側)が変化します。今までは郊外や地方から電車に乗って、都心の会社・学校に通っていました。それが、オンラインで自宅にいながら会社や学校との繋がりを持つことができます。
また、タイムラインの変化を下図に示しました。具体的に見ると、コロナ禍前は、上段のように朝起きて身支度、通勤、9時から18時まで仕事、さらに場合によっては飲み会をして、移動、帰宅、寝る。こういう生活だった人も多かったと思います。
ですが、テレワークによって通勤時間がなくなり、飲み会もなくなった人にとってのタイムラインは下段のようになり、大きく変わりました。自分の時間がぐっと増えています。そうなると、ワークがどうだライフがどうだ…ではなく、おそらく、「いかに生きるか?」が大事になってくるのではないでしょうか。
また別の視点で言えば、上段のように今までライフとワークは分かれていました。だから、ライフがあり、出勤時にスイッチが変わってワークになって、会社を出て飲み会が終わったらライフに戻るという形だったのです。
ところがテレワークが始まれば下段のように変わります。ライフとワークが混ざり、溶け合うという状態になります。そうなると、「いかに佳く生きるか」が重要になり、既にそれに向けて動き出している人も多いのです。
コロナ禍に入り 1年2年と経ち、3年目が経とうとするなかで、このような形で「自分時間」を取り巻く環境が大きく変わりかけています。もちろん変わらない・変えられない人もいるのですが、こういうことが、日本全体、いや、世界中で起こっていることなのです。
場の構造変化
「価値観の変化」は、ライフスタイル・ビジネススタイルを変え、都市と郊外の「場の構造」を変え、さらには人々のタイムライン・「時間の構造」を変えていくわけですが、この「場の構造」の変化について、上図のように整理しました。左側はコロナ禍前を指し、右側はコロナ禍後となります。
左側には地域があって、そこに自分の自宅があります。都心には会社・学校があります。さらに第三の場所として、病院や公的機関のようなライフサポート、物販・飲食・文化・レジャーにまつわる施設があり、この三者はそれぞれが有機的に連携しながら、人々はこれらの場を移動しながら、地域と都心という構造の中で生活してきました。
それが、コロナ禍後は右側のように変わりつつあります。地域と都心にあったそれぞれのものが、地域や都心の枠を越えて混ざりあい、重なりあい、さらに一部の機能はZoomなどの情報空間に滲み出ているような構造になろうとしています。都心と地域・地方・郊外の関係、自宅と会社・学校の関係、さらに第三の場所も含めて場の関係性が変化します。そしてこれが今、私たちの前に大きな問題点として立ちはだかっています。
すなわち、このような時代の中で、私たちの会社はどうあるべきか、これからどのように変えていくのかを考えなければなりません。しかもこのとき、一律に変化が起きるわけではなく、段階を経ながら変わってくるだろうし、さらには変わらないエリアもあります。そのような中で、「何が変わり何が変わらないのか?」という見極めは重要となりますし、多様的に物事を見ることも大切になっていくのではないでしょうか。
なくなる通勤時間と都市構造の変化
先述の通り、テレワークになると通勤時間がなくなる人が生まれます。テレワークを原則として、出勤時には飛行機や新幹線の利用も可能という会社まで出てきました。
このように今、全面テレワーク・在宅勤務という会社が出てきているわけですが、大きな時間軸で言えば、「住んでいる場所と働く場所は一緒」という「職住一体」はまったく新しいものではありません。
それが明治維新や産業革命を経て「職住接近」となり、それがさらに進んで「職住分離」になってきたのが現代の姿です。なお、明治維新以降の部分はその中身が少し複雑ですので下図をご覧ください。
かつては1番左側のように、元々郊外にあった「職」が都心へ集中する時期がありました。それに伴い「住」も都心へ集中しました。それが次に、「住」が郊外へ移り都市が空洞化する、郊外移転や郊外集中という形になりました。また「職」も製造業を中心に郊外移転が大きく進展しました。戦後の高度成長がこの時期になります。
そして、コロナ禍前は再度都心集中になっていました。タワーマンションの建設ラッシュからも想像がつくように、「住」は再び郊外から都心に集中し始めました。
そして現在、コロナ禍後は一番右側、都心が「疎」になるとともに、郊外は人の集中する準都心と、そうでない郊外に分かれるのではないかと考えています。既にこのような動きが出つつありますが、これからますますこのようになっていくのではないかと思います。
真ん中の都心、たとえば、梅田・難波・三宮・四条といった都心と、郊外と、そして準都心がそれぞれ情報ネットワークの中で繋がっていく。つまり、鉄道や道路といった交通システムにより人が移動(通勤・通学)し、繋げられていたネットワークは、一部が情報ネットワーク(Zoom等のオンラインサービスなど)による繋がりに置き換わり、朝夕の満員電車のワークスタイルから、通勤時間のないオンライン時代の職住一体、職住近接、場合によっては多拠点スタイルになっていくことでしょう。
そして、都市・地域、 都心・郊外は互いに対等な関係で連携し合いながら存在する個別分散の仕組みになっていくのではないでしょうか。またその関係を支えるのがオンラインとなると、交通システムに加え、需給の変化に伴いエネルギーや物流や人流の在り方も変わってくることでしょう。そもそも公共サービス自体をどういう風にこの流れの中に組み込まれていくのか、というのも論点になってくると考えられますが、話も逸れていきますので、この辺りはいずれお話をさせていただきたいと思います。
テレワークが崩すビジネススタイル
いま、テレワークを推し進め、在宅が週2回とか、あるいは4回や5回になった企業があるのは先述した通りです。またこれに加えて、週休3日や4日を導入しようとする企業もあります。
一方で在宅勤務を0に戻した会社もありますが、おおむね私たちの中で、テレワークは身近になったところがあるのではないでしょうか。毎朝電車で通勤し、会社でみんなと仕事をし、夕方電車で帰る生活という日本社会の前提は崩れようとしています。
また出勤するにしても、自席が定まっていないフリーアドレスの会社もあります。朝から晩まで、月曜から金曜まで、オフィスで仕事をするというパターンが崩れ、みんなと一緒にいる時間・空間がなくなっている事例は多くあります。これにより不安を覚えたり、孤独感を感じたり、一方では解放されていると感じたり、色んな見方がありますが、今まで長く続いてきたビジネススタイルは今大きく変わろうとしているのです。もっと言えば、働き方のみならず、戦後取り組んできた様々なスタイル・習慣が大きく変わろうとしているように思います。
コロナ禍の構造変化
これまで繰り返し、価値観の変化が行動様式を変え、行動様式の変化が場の構造を変え、場の構造の変化が人々のタイムライン・時間の構造を変えるとお話してきました。
このとき、もう1つ忘れてはならないのは「制度・ルール」の変化です。
上図に示した通り、社会的価値観が変わると右側にある「制度・ルール」に影響を与えます。たとえば、週休2日制が3日や4日に変化したり、テレワークや在宅勤務、副業が認められたりという変化が起こります。
そして、企業が「制度・ルール」を変えようと取り組むことで、それが「技術革新・仕組み・知的基盤」と連動しながら、図の中央、「行動様式・タイムライン」を変えていきます。価値観が制度・ルールを変えて、「行動様式・タイムライン」を変えていくという順番になるのです。
変わる「観」が変える社会
では最後に、タイムラインが変わり、時間の使い方、時間の配分、時間の関係性といったものが変わっていくとき、その次に起こるのは何でしょうか。それは「観」ではないかと考えています。
「観」とは見て感じるという意味ですが、「人の価値観」とか「社会的価値観」といった、社会の感じ方・見方・考え方というのが変わろうとしているのではないかと思うのです。
そしてこの「社会的価値観」、より具体的には親子観、家族観、生活観、地域観、市場観、仕事観といった「観」が変化することが、社会そのものを大きく変えていきます。
つまり、コロナ禍による社会的価値観の変化は、次の社会的価値観の変化を生み、「禍」の文字通り「元(=コロナ禍前)に戻らない」社会を創りあげるきっかけとなっているのです。