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コロナ禍後社会はどうなる(第6回:もはやコロナ禍ではない)

コロナ禍後社会はどうなる(第6回:もはやコロナ禍ではない)

新型コロナウイルスの世界的流行は、世界を大きく変えたと言われています。いま私たちも、その新しい世界の中でもがき苦しみ、ときには喜び楽しみながら流れに身を委ねている状態です。では、この流れはどこに行き着くのでしょうか。コロナ禍が終わったとき、この日本社会はどうなっているのか、何が求められていくのか、働き方はどう変わるのか。コロナ禍後社会を研究している社会文化研究家 池永寛明氏にインタビューしました。
連載でお送りしていきます。

プロフィール

池永寛明(いけながひろあき)
社会文化研究家
(元 大阪ガスエネルギー・文化研究所所長、元 日本ガス協会企画部長)

・日本経済新聞 note 日経COMEMOキーオピニオンリーダー
https://comemo.nikkei.com/
・大阪大学 Society5.0 実現化研究拠点支援事業 (一社)データビリティコンソーシアム 事務局長・well-being部会会長
堺屋太一研究室所長
・大学・企業等向けの講演講義多数
・著書(日本再起動」「上方生活文化堂」など)

それでは、これからどうなるかということについてお話をしていきたいと思います。

コロナ禍後社会は、表面的にはコロナ禍前と変わっていないように見えているでしょう。車は車で、パソコンはパソコンで、今までどおり必要です。
しかし、これまでお話してきた通り、オンライン化によって、「場」と「時間」の構造が変わり、人と人との関係が変わっています。10年経つと、社会の中身は目に見えて変わっていることでしょう。これが、コロナ禍リセットの本質です。

2030年代に向けた3つのフェーズと構造変化

では、10年経った2030年代に社会はどうなっているのでしょうか。

3つのフェーズと構造変化

まず、現在を見てみましょう。2020年から始まったコロナ禍が収束しないなか、2022年にウクライナ紛争が起こり、世界的な大不況を加速させています。この2つの絡み合いが、このコロナ時代をより複雑化させていると言えるでしょう。

そのような中での関心の対象は、コロナ禍が終わり、いつ復興するのか? ウクライナ紛争がいつ終結するのか? ということになるでしょうが、これまでの動きを踏まえて2030年代までの道筋を未来予測するならば、以下の3つのフェーズに分けて進んでいくのではないかと考えています。

 

まず第1フェーズは、2024年にかけてのコロナリセットとコロナ不況に加え、ウクライナ戦争による世界不況。

続いて第2フェーズは、その後2025年から2027年頃にかけてのコロナ復興期。特にこの時期に「大阪・関西万博2025」が開催されますが、このイベントがコロナ復興のなかの位置付けにどう組み込まれていくかが今後を左右する重要な岐路ではないかと考えています。

最後に第3フェーズとして、2028年以降2030年代にかけて、「Well-Being時代」が到来すると考えています。

もちろん、これら3つのフェーズが線を引くように綺麗に切り替わっていくことはありません。まだらのようになりながら、気が付けば次のフェーズに移っている、というようなことになるでしょう。

 

続いて、この3つのフェーズを経ながら、2030年代にむけて社会がどのように変わっていくかについてです。おそらく、以下3つの構造変化が複合化しながら進んでいくと考えています。

 

まずその1としては、「適合不全」となっていたコロナ禍前の産業・ビジネスの構造変化が進む。

オンライン化やテレワークのように、技術的・産業的な革新によって産業・ビジネスにイノベーションが起こっていたはずなのに、これまで社会実装されてこなかった事柄がコロナ禍を契機として動き、表面化し、実用化されていくと考えられます。

 

続いてその2としては、コロナ禍を契機とした日本の構造変化、すなわち戦後77年の社会システムのリセットが起こる。

最後にその3としては、ウクライナ紛争を契機とした世界の構造変化が起こる。

いままでの世界秩序・社会システムがリセットされ、混乱し、次の枠組みにむけて再構築されていくのではないでしょうか。

 

これら3つの構造変化が絡み合い、複合化しながら、社会もまた複合的に変わっていくのではないでしょうか。したがって、コロナ禍が明けたら一律にこうなる、ということはなく、こちらもまたまだらのように変化していくことになるでしょう。

ブラックスワン

さて、何度も申しあげている通り、コロナ禍は明治維新・戦後に次ぐ近代3度目の大断層、リセットです。

つまり、「コロナ禍は戦後77年間のリセット」なのですが、このように捉えるか捉えないかによって、これからの企業形態・日本の変化について大きな差が出てくると考えています。コロナ禍が始まった2020年から3年が経ち、4年目を迎えているいま、どういう立ち位置で「これから」を考えていくのか、そのためにはどういう立ち位置で「これまで」を分析するのか、というのが、「何がリセットされていくのか」を考える上でのポイントになることでしょう。

どこから観て考えるか

さて、この20年間で世界には『ブラックスワン』、低確率だが、発生すると影響が大きい事柄が次々と現れてきました。

2001年 米国 同時多発テロ
2008年 米国 リーマンショック
2011年 日本 東日本大震災
2016年 英国 EU離脱
2020年 世界 コロナショック
2022年 ロシア・ウクライナ紛争、エネルギー・食糧危機

 

ですが、私たちが押さえておかなければならないことは、ブラックスワンは突然現れているようにみえるが、無から突然生まれたわけではないということです。物事にはすべてにきっかけがあり、流れがあり、誰かが選んだ選択肢の積み重ねとしてブラックスワンは表面化するのです。したがって、ブラックスワンが現れるのは必然だと言えるでしょう。

いま、世界の構造は複雑化していると言われています。そのため、ブラックスワンに至る流れを読むことが難しくなっているのは間違いありません。そうなると、これからもブラックスワンが続々現れるかもしれません。であるならば、流れを読み、必然性を早期に見出すことがこれからの企業経営を考える上でも重要になることでしょう。

戦後の日本経済成長モデル

では、ここからは戦後のリセットから現在に至るまでの流れ、「これまで」を分析してみましょう。ビジネスモデルを、戦後経済の特徴あるいは問題点と併せて見てみたいと思います。

 

まず、現在の日本社会における最大の問題の1つは人口減少です。そして、経済が長年低迷している、イノベーションが起こらず世界から置いていかれていることも重大な問題です。しかし、この2点に関連がないと言えるでしょうか。別の視点で言えば、戦後経済の成長期が人口拡大期と一致しているのは偶然だったのでしょうか。

政官財は「少子高齢化・人口減少社会を何とかしなければならない」と言っているにもかかわらず、政官財ともに、施策やビジネスモデルが「人口増加に支えられた戦後の日本経済成長モデル」をいまだに変えられていないのではないでしょうか。

神話の時代のビジネスモデル

さて、戦後のビジネスモデルを変えられていないという点においては、既に語り尽くされた感もありますが、百貨店のモデルを外すわけにはいかないでしょう。

アパレルを中心に「あらゆるものが揃っている」ということが売りになる百貨店ですが、これは「あれも欲しいこれも欲しい」という購買意欲を掻き立てることで初めて成功するモデルと言えます。人口が増える、すなわち家族が増え、その子供も成長し、可処分所得も右肩上がりだった高度成長期には、その購買意欲を掻き立てるスタイルが百貨店というモデルの成長に繋がったことでしょう。そして、そのときの成功体験、売上を伸ばす方法論が、神話のように今でも語り継がれているのではないかと感じるのです。

ですが、低成長期の現在に置いて、「あれも欲しいこれも欲しい」を消費に繋げることは難しくなりました。そのような時代に、同じくアパレル業界で目覚ましい成長を遂げている事例として挙げられるのが「ワークマン女子」です。「作業服で機能的なのにカワイイ」という、既存リソースに新たな要素を付加することで新たな需要を開拓しました。

時代が流れるとともに、「あれも欲しいこれも欲しい」 から、「これ、ステキ、カワイイ」 に変化しようとしている価値観を上手くキャッチし、成功に繋げているのです。

なお、総論では「負け組」のように語られる百貨店ですが、ことデパ地下において言えば、今でも行列のできるブランドを集めつつ、流行り廃りに応じて出店者を入れ替えるなど、店舗ごとの工夫と差別化によって都心の店舗は日夜多くの人で賑わっています。詳しい話は次回以降となりますが、これはまさに、時代とともに現在進行形で変わる市場を追いかけ、変化を続ける「Market+ing」を実践している例でもあるのです。

 

このように、各社・各業界における取り組みには差があり、二極化が起こっています。さらに、Eコマース、オンラインショッピングの普及により、モノの購買タイミングとモノの流れが変わり、どこで何が売れているか、どうモノが流れていくかというところも変わっています。

ですが、未だに「人口増加することで経済成長するのだ、そしてビジネスが成長するのだ」という神話が残っています。もはやその神話は崩壊しているにもかかわらず、神話の時代のやり方を新たな時代のやり方に変え切れていないのが現状なのです。

最強ビジネスモデルの翳り

戦後に生まれたビジネスモデルで、最も成功したものの1つにコンビニエンスストア(コンビニ)を挙げる方は多いのではないでしょうか。

コンビニは「困ったときに、24時間いつでも店が開いていて、何でも揃い、便利」という戦略で伸びてきました。まさに、核家族化や共働き化(中食の成長)、都市化あるいはモータリゼーションの進展(店舗当たり客数の増加)、そしてデジタル化(マルチコピー機による発券やオンラインショッピングの受け取り)といった、社会の変化に伴うニーズを取り込むことで伸びてきたのです。

ですが、コロナ禍以前から少子高齢化や市場の飽和によって、店舗数・来店客数・売上高は鈍化または頭打ちの様相を呈しつつあり、コロナ禍によってそれらの指標は急激に悪化しました。

お客さまの不満・困りごとに応えつづけてきたコンビニでさえ、コロナ禍というリセットによるニーズを取り込めていないのです。いまやコンビニが持つ仕組み・機能のアップデートだけでは成長できなくなってきており、コンビニとてビジネスモデルとして永続するものではなかったのです。

 

裏を返せば、コロナ禍というのは神話の時代はおろか、平成に飛躍を遂げた新たなビジネスモデルでさえ耐えられないような、非常に大きな社会の変化だったということなのではないでしょうか。

 

ここまでで、オンライン化やリモート化、そしてなによりも、変わりつづける生活者の価値観を掴みつづけて、自らの事業・サービスを変えつづけられるかということが重要だということが見えてきたのではないかと思います。しかも、今のコロナ禍は「リセット」であり、生活者の価値観がいままでの連続的な変化から不連続な変化になっているのも特徴だということを、押さえておく必要があるでしょう。

戦略を考えたのか

人々が意識・行動様式の変化を続けるのであれば、それを読み解き、応えることによって、街とビジネスは大きく変わる可能性を持っています。では、それを読み解き、応えるとはどういうことかについても見ていきましょう。

 

日本には数多くのお寺があります。京都や奈良だけでなく、大阪にも東京にも有名なお寺がたくさんあります。清水寺、金閣寺、法隆寺、東大寺、四天王寺、浅草寺等々、みなさんも一度は訪れたことがあるのではないでしょうか。

ですが、多くの人が参拝するお寺もあれば、そうでないお寺もあります。これらは何がどう違ってこうなっているのでしょうか。

 

同じお寺でも、今までの延長線で考えれば朽ちていきます。人々が意識・行動様式の変化を続けるのを読み解き、それに応え、今までの延長線で考えずに物事の本質を踏まえてイノベーションを繰り返したお寺が生き残るのです。

 

みなさんは高野山を訪れたことはあるでしょうか。大阪のなんばから南海特急に乗り1時間半、さらにケーブルカーとバスを乗り継ぎ到着する宗教都市です。世界遺産にも選ばれたように、悠久の歴史と伝統を感じさせる神秘の地であり、多くの観光客が訪れます。そんな高野山ですが、アクセスルートであるケーブルカーのアナウンスに興味深い点があることをご存知でしょうか。

アナウンスの自動放送と言えば、日英2か国語が標準で、最近では日英中韓の4か国語も聞かれるようになりましたが、なんとこのケーブルカー、日本語、英語の次に流れてくるのはフランス語なのです。

根本大塔とエッフェル塔

日本でも稀なフランス語アナウンスが流れている理由は、高野山体験をしたフランス人スーパーブロガーが、フランスのSNSで発信した結果、フランス人の高野山ブームをうみだしたからだと言われています。ブームは突然、自然発生的に生まれるわけではありません。高野山体験をしてもらい、フランスのSNSで発信してもらってブームを巻き起こす。

真に良いものであれば、口コミが次の客を呼ぶ循環が起こりますが、そのきっかけをどう作るかが今回の高野山の戦略だったのではないでしょうか。

悠久の歴史と伝統に対し、SNSと言えば時代の最先端であり、一見相容れないようにも見えるかもしれません。ですが、これまでの延長、1200年続く文化や様式に縛られず考えた結果が、現在多くの人に参拝してもらっていることに繋がっています。つまり、自身の課題を見つめ、それを解決するための戦略を考え実行したのかしなかったのかが大きな分かれ道だったのではないでしょうか。

 

先ほど紹介したデパ地下も、ここにしかない店・ブランドを呼び、常に流行を発信する立場に立つことを戦略としている店舗もあれば、庶民の台所を支えることを戦略としている店舗もあります。戦後のビジネスモデルを踏襲するのではなく、変化する社会と厳しい競争の中で自身の課題を見つめ、解決する戦略を立てている店舗のデパ地下には、これからも人が集まってくることでしょう。

 

これからの社会は人口が減少する縮退社会であり、今までの考え方の延長で生き残ることはできないというのは、重要な基本潮流です。そこに発生したコロナ禍で、その傾向は顕著になっていることでしょう。どのような戦略を考えていくのか、流れを読み、必然性を早期に見出すことができるのかが問われているのです。

戦略がもたらした60年後の明暗

また、戦略を考え実行したのかしなかったかについて、もう1つ例をご紹介します。

 

みなさんは、ファッションと聞くとどのような街を思い浮かべるでしょうか。

やはり花の都パリでしょうか。ニューヨークをイメージする方も多いことでしょう。一方、ミラノをイメージした方もおられるのではないでしょうか。

 

今日において、「ミラノファッション」といえばとても有名で、「ミラノ・コレクション」は「パリ・コレクション」などと合わせ、世界4大コレクションとも呼ばれています。ですが、今から60年ほど前、1964年においては「工業都市」ミラノに対して、繊維メーカーが集まり、その卸商社が集まる世界一の「繊維都市」は実は大阪でした。

 

そんな1964年に、ミラノはファッション都市を目指す戦略を立て、活動を始めます。「VOGUE」「Esquire」など世界ファッション誌の各5ページを買取り、ミラノのファッションショーを掲載する活動を始めたのです。それを20年つづけた結果、単なる工業都市だったミラノは名だたるファッションブランドが集まり、パリとも並び称される「ファッションの都」になりました。

一方、当時世界最大の繊維都市だった大阪は、海を埋め立て、重工業化を推し進めました。普段使いの繊維・衣類が海外製の安い製品に押されていった歴史を考えると、繊維工業から重工業への脱皮という戦略は正しかった側面もあることでしょう。ですが、その重工業も衰退し撤退していったこの30年間、大阪は戦後・昭和のビジネスモデルから脱却できず、衰退の一途をたどりました。

千代松大橋から見た大阪

その後、ここ10年で外国人観光客向けという戦略を打ち出し始めた大阪ですが、それに対し、ファッションブランドが集まり、世界から注目を浴び、高付加価値な商品を産み出す都市に脱皮したミラノ。この2023年においては、両都市の60年前の戦略の差は明確に出ていると言えるでしょう。

 

このように、戦略性の違いによって、また戦略的に継続して行い続けることによって、20年30年、50年100年経ったときに大きな差が出ることを、重要なポイントとして押さえるべきなのではないでしょうか。

もはやコロナ禍ではない

先述したように、戦略によってその後の運命は大きく分かれます。とりわけ平成の30年間に、その運命がどうなっていくのかが明確に二極化したのではないでしょうか。すなわち、

 

戦略展開できる人・会社と、できない人・会社

時代を理解できる人・会社と、理解できない人・会社

です。

冷戦や55年体制といった戦後システム、人口ボーナスや護送船団方式、高度経済成長にバブルといった、戦後・昭和の経済モデルのままで平成を過ごし、果ては令和でも同じままの人・会社がまだまだたくさん存在します。

そして、そのような人・会社が平成の30年間に採った戦略は、ここまで見てきたように結果が見えつつあるでしょう。また、その結果がその人・会社にとってのブラックスワンとして現れたものもあったかもしれません。

ですが、すべてにきっかけがあり、流れがあり、誰かが選んだ選択肢の積み重ねと先ほどお伝えしました。戦後・昭和ではなく令和、現在をどう構造的に捉えるか。そこから流れを読み、必然性を早期に見出し、それを戦略に落とし込んで考えられるか。これが、この二極化のなかの分かれ道、大きなポイントなのです。

戦後10年が過ぎたとき、「もはや戦後ではない」という言葉が生まれました。そして現在は、敗戦というリセットを経て77年、再びコロナ禍というリセットを経て3年、「もはや戦後ではない」のは当たり前で、「もはやコロナ禍ではない」を目指していくべきときに来ています。

にもかかわらず、戦後の日本経済成長モデルが変えられない人・会社は「いまだ戦後である」のです。

太陽の塔(裏側)