コロナ禍後社会はどうなる(第9回:成功への道はどちらか)
新型コロナウイルスの世界的流行は、世界を大きく変えたと言われています。
いま私たちも、その新しい世界の中でもがき苦しみ、ときには喜び楽しみながら流れに身を委ねている状態です。
では、この流れはどこに行き着くのでしょうか。
コロナ禍が終わったとき、この日本社会はどうなっているのか、何が求められていくのか、働き方はどう変わるのか。
コロナ禍後社会を研究している社会文化研究家 池永寛明氏にインタビューしました。
連載でお送りしていきます。
目次
プロフィール
池永寛明(いけながひろあき)
社会文化研究家(元 大阪ガスエネルギー・文化研究所所長、元 日本ガス協会企画部長)
・日本経済新聞 note 日経COMEMOキーオピニオンリーダー
(https://comemo.nikkei.com/)
・大阪大学 Society5.0 実現化研究拠点支援事業 (一社)データビリティコンソーシアム 事務局長・well-being部会会長
堺屋太一研究室所長
・大学・企業等向けの講演講義多数
・著書(日本再起動」「上方生活文化堂」など)
前回は、現代社会が抱えている「プロセスのブラックボックス」化という視点から、日本社会の課題についてお話しました。今回は、「加速する技術」と社会との乖離、そして日本社会が抱えている「適合不全」と「失われた30年とはなにか」について迫ってみたいと思います。
スタンドアローンの技術に意味はない
本連載では何度もお話してきましたが、大きな戦争・政変・災害・災禍を契機とした社会的価値観や意識の変化から生活・行動様式、それらが都市や産業や経済を変えていく流れにおいて、技術はそれを支える基盤として機能します。裏を返せば、技術だけでは世の中は動きません。DX(デジタルトランスフォーメーション)・AI・ロボットなど、技術革新は進みますが、その技術が社会実態から乖離していると、世界は変わりません。技術は、社会とつながっていないといけないのです。
そして、技術と社会をつなぐためには、社会を構成する人々の気持ち・想い・姿にインサイトしないといけませんが、この力が弱まっているのが、今の日本社会・産業界の実態なのではないでしょうか。
売り場へのアクセシビリティ
現代はいつでも、どこでも、誰からも買える時代となりました。圧倒的な利便性・情報性が社会を変えつつあります。そして、これまでは店、すなわち「売り場」が主役であり、そこにお客さまが行くという消費構造だったのが、いまやお客さま、すなわち「買い場」が主役であり、「買い場」であるお客さまに店が行くという構造に変わろうとしています。
例えば、Googleで欲しいものを検索すると、それを取り扱うオンラインショップが検索結果と広告として表示されることでしょう。まさに、モノを欲するお客さまにお店が現れるという構造になっているのです。
さらに、DXやメタバースなど新たな技術とコミュニケ―ション方法の進展によって、モノを買うということの「アクセシビリティ」は変わっていくでしょう。
このように、現代は販売者から購買者主導の時代になり、供給者側の論理ではなく、購買者主導の論理で動く時代になりました。これまでは供給側が強すぎたわけですが、IT化によって、求めるモノ・コト・サービス、売り場へのアクセスのしやすさが向上したことで、このような変化が起きつつあるわけです。
ちなみに、10年ほど前までは、「売り場へのアクセシビリティと地域社会の変化」は、「シャッター商店街」問題が真っ先に挙げられたことでしょう。地方の駅前などの商店街が、郊外に続々と建設されたショッピングモールにお客さまを奪われ、どんどん衰退していきました。
この要因は様々あるとされていますが、よく挙げられる理由のひとつが「自動車でのアクセスのしやすさ」です。1時間に1本あるかないかのバスや鉄道を利用し、重い荷物を持って移動するよりも、広く停めやすい駐車場を備えたショッピングモールにクルマで行く方が便利に決まっています。
これも結局、技術の進歩がアクセシビリティを変え、地域社会構造に変化を起こした例と言えるでしょう。
販売の場の無言化―流通近代化と技術が生み出したこと
では最近、都市近郊の普段使いの商店街でもシャッター街が増えているのは、なぜでしょうか。
もちろん高齢化と後継者の問題などの要因はあると考えられますが、家の近所で買い物をしていた人が家と勤め先の移動の間でおこなうようになった、というワークスタイルの変化に伴う都市と郊外の関係性の変化が大きな要因です。これは日本だけでなく世界的な現象ですが、日本独自の変化の要因があります。つまり、急速に日本で進んだ「流通近代化」による変化が店舗の位置付けを変えました。
では、この変化によって何が起こったのでしょうか。
そもそも、「近所のお店」は、次の販売のプロセスをすべて担っていました。
- 近所の情報と、近所の人の情報を知っていて
- お客さまに相応しいモノを提案して
- お客さまと、いろいろな対話をして
- 商品を選択して決定するアドバイス・決断をサポートして
- 代金をいただき
- 商品をお渡しする、お届けする
- 使い出したあとのお困りごとに対応する
この7つのプロセスをお店が近所の人々におこなっていました。
昔は、お店の人とお客さまとは多数の接点がありました。しかし、現在これらのプロセスのいくつかがなくなったり、担い手がバラバラになっています。その最たる例が「Amazon Go」のような無人店舗です。
コンビニはセルフレジ化、駅の窓口は券売機化、居酒屋ではタッチパネル化と無人化がどんどん進んでいます。無人化が悪とは言えませんが、お客さまとお店の人との対話がなくなり、買い物をする場面・時間が無言となりだしたのは事実であり、それによって買い物をする楽しさ・ワクワク感が無くなったと感じる人もいるのではないでしょうか。
そして、この販売の場の無言化が加速しようとしているのが現状なのです。
無言化の時代だから大切にしたいこと
先ほども述べた通り、無人化が悪とは言えません。人口減少、少子・高齢化という人口構造の中で、サービスを提供し続けるための必要な効率化である場合もあります。よって、これから本格化する超高齢・単身時代において、機械化・無言化は止まらず加速していく場面も多いでしょう。
ところで、中国では日本のネイルサロン・理容美容が人気だそうです。その理由は、日本人の卓越した、洗練された技に魅了される人が多いからだと言われています。
一方、日本では同じくネイルサロン・理容美容が人気だそうですが、その理由は中国とは異なるようで、施術の魅力だけでなく、施術中の会話が楽しく、心を満たす場として人を惹きつけているからだと言われています。
利便性と引き換えにDX化・機械化による無人化が進み、社会全体で会話が減っている。その一方、誰かと会話したい・つながりたいという思い、顧客接点での対話の重要性が高まっている。この点を踏まえた新規ビジネスのチャンスは大いにあるのではないでしょうか。
つまり、少子・高齢化による生産性向上の動き、そしてテレワーク・オンライン化・アナログ規制撤廃によって、会社・工場に誰もいない、オンラインだけのつながりのなかで会話はより大切な要素になるのではないでしょうか。
また、オンライン・メタバース時代に近づけば近づくほど、生身の人間との会話は少なくなることでしょう。そうなればなるほど、現物・実物・本物への「アクセシビリティ」が求められていくはずです。
物理的に配達できるモノは、ネットで注文すれば必要なところにスピーディに、確実に届きます。しかし、五感が伴うモノやコトは、そこに行かなければ、触ったり匂ったり、感じたり、体験できません。赤福は国内ならどこででも食べることができるようになりましたが、五十鈴川の風を感じながら赤福を食べたいのなら伊勢に行くしかないのです。
このように、現場・現物・現実へのニーズが高まってくるなかで、物理的に配達できるモノと五感が伴うモノやコト、このどちらかではなく、これとそれをどう組合せ、新たな価値を創造する。リアルとバーチャルの組み合わせをどうするのか。総合的にお客さまに満足しつづけられるよう、ビジネスを組み立てるかが大切になっていくのではないでしょうか。
価値観や行動が急変する現在、ビジネスを考えるうえで大切なこと、仕事、医療、衣・食・住、買うこと、遊ぶこと、学ぶことという生活の基本機能において、変えてはいけないことと、変えなければいけないことがあることを見極めることです。マーケティングとは、市場(Market)+ing、市場は常に動いていること、現在進行形で変わっていくものを追うことです。
しかし、人が求める本質は変えてはいけません。あくまで、本質・本相を実現する方法論を変えなければならないのです。
技術と社会の乖離
さて、ここまで見てきたように技術の進歩は目覚ましく、オンラインからメタバース時代の到来も近づき、現に無言化社会を前提としたビジネスモデルも構築されるなど、その良し悪しの評価は別として、「変化を嫌う日本」でも確実に変化は進んでいます。
しかし、その進化・飛躍する技術とそれを使ったビジネスモデルと社会とが乖離していないでしょうか。つまり、価値観が変化し、人々の求めに対して技術が行動様式の変化を促そうとしているのに、社会が追いついていない。これまでの常識・制度・仕組み・ルールが、新たな技術を基盤とした現代社会とずれて、適合不全を起こしているのではないでしょうか。また、そのずれに気付いているのにもかかわらず、「これまで」の形や方法やスタイルに無理やり合わせようとして、過剰適合となり、また別の問題を起こしています。
「これまで」の形に合わせた有名なものとしては、紙の様式をそのままExcelにした、通称「神エクセル」があります。当時の河野外務大臣が追放を呼びかけたことで世間での認知度も高まりましたが、最後は紙で管理する「これまで」と同じ仕組みにすることを前提に作られたExcelの様式です。
「ビッグデータ」や「DX」が言われる時代にあって、データの取り出しはおろかExcelでの並び替えも検索もできないような様式になっているため、著しく非効率で前時代的なものとして揶揄されることになりました。
また別の例としては、コロナ禍で普及したテレワークに対する労働基準法の取り扱いがあります。労働基準法は昭和22年に制定されたものが大きく変わらず維持されており、労働および労働時間の考え方については、作業時間と成果が比例することを前提としています。
しかしこれは、産業革命期以来の工場労働を想定したものであり、高度に頭脳労働化し、作業時間とアウトプットが比例関係にない現代においては適合不全となっていました。コロナ禍で上司の監視から外れ、アウトプットのみで評価されるように変わりつつあるにもかかわらず、未だに時間というインプットで評価せざるをえなくなっているのです。
このような社会実態と法・制度の適合不全は業界を問わず、今も新たな技術が生まれるたびに増え、広がりつづけています。それが現代日本なのです。
適合不全を直視せよ
市場には流れがあります。民主的な資本主義社会の法律や制度設計、様々な仕組みの多くが戦後の5年から10年をかけて作られてきました。それらの戦後システムが、戦後の高度経済成長を成功たらしめ、日本は大きく伸長しました。
しかし、平成の30年、令和になって4年経ち、現在もその戦後システム、昭和的思考が続き、70年以上前の仕組みが現在も使われていることもあります。2023年は昭和でいえば昭和98年、終戦してから78年となります。昭和的な思考が80年近く続けば世界とずれるのは当たり前でしょう。
「失われた30年」のなかでも、日本は「現実」から目を背けつづけてきました。「東洋の奇跡」「ジャパンアズナンバーワン」といった成功体験に囚われ、「前提条件」が次々に変わっていることに気づかない、いや見ないふりをして、適合不全が広がっていったのです。
80年前にその法律や制度が設計された時には、その時の本質があった。でも80年経てば、世の中の流れにより、適合不全を起こすのは当たり前です。にもかかわらず、目を背けつづけた日本。
―東京に住む官僚が、東京から地方を見て日本の絵姿として描いた「全国総合開発」や「国土形成計画」によって、究極の東京一極集中と地方の弱体化が進んだ。人口が減り、東京一極集中が進み、地方はスカスカになった。
―高齢人口・単身人口が急増しているのに、社会・生活・産業経済・インフラも、変化する人口構造に合わせて修正すべきところを修正しなかった。市場はずっと拡大していく、ハコモノを作れば人が集まる、そんな幻想に囚われているうちに、都心部には高齢者・単身者が増え、医療費や介護費が膨張し、財政はパンク。さらには認知症や介護で身動きができない家族が増える。
―モバイル社会への転換が遅れ、世代間乖離を生み、行動様式が多様化した。インターネットやスマホによる利便性は高まったが、玉石混交の情報から玉をつかみ取る知的基盤が脆弱化して、企業のチカラが弱まった。世代間の乖離が、多様なコミュニケーションを減らし、さらに知的基盤の脆弱化を招いている。
―次から次の欲望が社会を膨張させていく。高校生・大学生がブランド商品を買う、憧れの高級車を買うために残価設定ローンで購入する、残価設定型住宅ローンでタワーマンションを買う。融資を受けて土地を買い漁り、結局は崩壊したバブル経済と同じ構造が再燃している。
日本最盛期の1990年から、コロナ禍の2020年までの「失われた30年」の真実の根幹にあるものは、バブル経済・アベノミクス・膨張社会という実態を超えた日本の暴走にあったのではないでしょうか。
成功への道はどちらか
「団塊の世代」が後期高齢者である75歳を迎える2025年を待つまでもなく、「見たくない現実」に突入しています。
しかし、この現実は「ブラックスワン」でしょうか? 予測できた「不都合な未来」であり、起こりうる未来から日本がずっと目を背けてきたことの帰結なのではないでしょうか? 昭和以来今までやってきたことでここまで成功してきた、これからもなんとかなると考えてきた結果ではないでしょうか?
そして、コロナ禍の3年の「空白」がのっかりました。
これまで見ないようにしていた「真実」がコロナ禍で浮き彫りになりつつある。これまでの社会システムがこれから順次リセットされていく。
戦後70年以上続いた仕組みと社会実態との適合不全の状況が、白日の下にさらされようとしている。これまで変えられなかったことが今なら変えられるかもしれない。
そして現実のワークスタイルとなったテレワーク・リモートワーク。これは間違いなく、戦後最大の仕事の変革の1つに数えられるでしょう。
…いま、私たちにとってとてつもない大きなチャンスが訪れているのではないか? そう捉えるかどうかで、未来は大きく分かれる。これがいま、私たちの立っている現在地なのです。