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【前編】とんでもないことが、設備の現場で何回も起こる ― 「構造がつかめなくなった」ファシリティから崩れていく

【前編】とんでもないことが、設備の現場で何回も起こる ― 「構造がつかめなくなった」ファシリティから崩れていく

設備トラブルは、突然起きるものではありません。
それでも私たちは、どこかで「想定外」という言葉に逃げてしまう。
今回は、社会文化研究家として現場・組織・経営の「構造」を問い続けてきた池永寛明氏に語っていただきました。

 

設備事故や品質低下を「現場の問題」で終わらせない。
それを「組織設計の問題」として捉え直す視点から、根本的に何が問題なのかを読み解きます。

 

異音、微振動、わずかな電流値のズレ。前兆は出ているのに、なぜ止められないのか。
漏水、停電、制御誤動作、空調停止。「まさか」が常態化している現場で、
本当に崩れているのは設備そのものではなく、「構造を読む力」ではないでしょうか。

 

本稿では、事故や品質低下の背景にある「構造把握力の下降」という問題を掘り下げます。
あなたの組織は、前兆を「前兆」として扱える設計になっているでしょうか。

 

とんでもないことは、偶然ではない。
その構造的必然を、まずは直視するところから始めます。

プロフィール

池永寛明(いけながひろあき)
社会文化研究家(元 大阪ガスエネルギー・文化研究所所長、元 日本ガス協会企画部長)

(略歴)大阪ガス株式会社理事・エネルギー・文化研究所長・近畿圏部長・日本ガス協会企画部長
(現在)日本経済新聞note 日経COMEMO キーオピニオンリーダー(https://note.com/hiroaki_1959
関西国際大学客員教授・データビリティコンソーシアム事務局長・Well-Being部会会長・
堺屋太一研究室主席研究員・未来展望研究所長・IKENAGA LAB(https://ikenagalab.com)代表等
(著書) 「日本再起動」「上方生活文化堂」など

設備は、嘘をつかない。
嘘をつくのは、私たちの「見えた気」だけだ。

異音。微振動。電流値のわずかなズレ。温度の1℃差。
——前兆は、必ず出ている。

それでも事故は起きる。品質は崩れる。
なぜか。

前兆を「前兆として扱える組織」が減っているからだ。
つまり、現場力ではなく、構造把握力が落ちている。

とんでもないことが起こっている。
しかも、一度ではない。何回も、何回も、起こる。

漏水。停電。制御誤動作。空調停止。発煙。転落。感電。
点検漏れ。記録欠落。協力会社の手戻り。原因不明の再発。

「あり得なかった」は、もう通用しない。
“まさか”が常態化している。

その実態はこうだ。
「起きるかもしれない」ではない。
起きる条件が、すでに揃ってしまっている。

1 未来は設備台帳のなかに埋め込まれている

未来は突然やってこない。
未来は、現在に埋め込まれている。
そして現在は、過去に埋め込まれている。

ファシリティの世界で言えば、未来はこういうところに埋め込まれている。

• 設備台帳の更新漏れ
• 改修履歴の未整理
• 保全計画の形骸化(点検はしているが、“状態”が見えていない)
• 法定点検と自主点検の目的の混同
• 協力会社に依存していて、品質の型が共有されていない
• 不具合情報が現場止まりで、水平展開されない

経営が現在だけを見るようになると、対症療法になる。

人が足りない → 外注する
コストが高い → 単価を下げる
ミスが多い → 注意喚起する
事故が起きた → 再発防止策をつくる

本当に問われるのはそこではない。

• なぜ、前兆が“情報”にならないのか
• なぜ、異常が“停止判断”につながらないのか
• なぜ、同じ失敗が別の設備で繰り返されるのか

この問いに答えられない組織は、
「とんでもないこと」が頻発する組織になる。

事故は現場で起きる。
だが、起きるようにしたのは、日々のこんな意思決定の積み重ねである。

• 余裕(人・時間・予算)を削った
• 教育と技能継承を後回しにした
• 記録を“提出物”に変えた
• 数字を優先し、止める権限を設計しなかった

経営の責任とは、「起きた後に謝る責任」ではない。
起きない状態を設計する責任である。

2 設備事故は突然ではない。品質も突然ではない

事故は突然起きない。品質も突然崩れない。
崩れる前に、必ず前兆がある。

• 音
• 振動
• 臭い
• 温度差
• 電流値の変動
• 手順の省略
• 作業の雑さ

それらは、設備の問題というより、
「組織の感度」の問題である。

いま、その感度が明らかに落ちている。

能力の問題だけではない。
組織が「構造を見る訓練」をやめたからである。

• 点検はしているが、状態基準になっていない
• この重要設備が“止まると致命傷となること”が共有されていない
• 不具合が報告ではなく、“空気”として消える
• 記録は残るが、学びが残らない

結果として、全体が見えない。因果が読めない。
そして同じ失敗が、形を変えて繰り返される。

3 中間層が沈黙すると、設備は止められない

現場の違和感を最初に掴めるのは、
現場担当者でも経営者でもない。

本来は、所長・統括・監督者といった中間層である。

現場は違和感を持つ。
経営は数字を見る。
その間をつなぐのが中間層の役割である。

ところが今、この中間層が機能不全に陥っている。

• プレイング化し、監督の時間がない
• 納期やコストが優先される
• 問題を上げると評価が下がる
• 止めると損をする

この状態で事故が起きた瞬間だけ、
「なぜ止めなかった」と問う。

違う。
止められない構造を放置してきたことが問題なのである。

止められないのは、勇気の欠如ではない。
設計の欠陥である。

4 安全と品質は、現場の話ではない

安全は手順ではない。
安全は認識力である。

品質は検査ではない。
品質は構造理解である。

この違いが失われた会社から、崩れる。

形式は残る。
しかし意味が抜ける。

KYはするが、危険は見えていない。
点検はするが、状態は見えていない。
記録はあるが、判断には使われない。

安全と品質は、現場の気合論ではない。
経営の設計の話である。

前編の結論はひとつ。

とんでもないことは偶然ではない。
構造的必然である。

だからこそ、立て直せる。

後編では、
「見える化・見せる化・カタチ化」による再設計、
そしてAI・DXを“後段で効かせる”順序、
さらにBCP(72時間/1週間)とファシリティをどう接続するかを考える。

事故を防ぐことは目的ではない。
止められる組織を設計することが目的である。

 

(次号に続く)