
BCP2026 ― 【第1部】構造が変わった時代に、企業はどう在りつづけるのか
南海トラフ巨大地震への備えは、
多くの企業にとって「すでに取り組んでいるテーマ」になっています。
耐震化、非常用電源、安否確認、代替拠点など、BCPは、特別なものではなく、
整備されていて当然の前提となりました。
しかし近年、災害や大規模トラブルの現場からは、
「計画はあったのに、動けなかった」「判断が下りず、初動が遅れた」
という声が繰り返し聞かれます。
それは、BCPが不足していたからなのでしょうか。
それとも、別のところに原因があるのでしょうか。
本特集「BCP2026」では、
社会文化研究家として地域・企業・現場を横断的に見続けてきた池永寛明氏の視点を通じて、BCPを「制度」や「マニュアル」の問題としてではなく、経営と組織の構造の問題として捉え直していきます。
第1部では、阪神・淡路大震災の現場と現在を対比しながら、
なぜ現代企業では「判断できない状態」が生まれているのかを整理します。
BCPを「備えの量」ではなく、『判断できる構造』として考え直すこと。
そこから、本連載は始まります。
目次
プロフィール

池永寛明(いけながひろあき)
社会文化研究家(元 大阪ガスエネルギー・文化研究所所長、元 日本ガス協会企画部長)
(略歴)大阪ガス株式会社理事・エネルギー・文化研究所長・近畿圏部長・日本ガス協会企画部長
(現在)日本経済新聞note 日経COMEMO キーオピニオンリーダー(https://note.com/hiroaki_1959)
関西国際大学客員教授・データビリティコンソーシアム事務局長・Well-Being部会会長・
堺屋太一研究室主席研究員・未来展望研究所長・IKENAGA LAB(https://ikenagalab.com)代表等
(著書) 「日本再起動」「上方生活文化堂」など
若し今日、南海トラフ地震が起こったら ― なぜBCPは「あるのに動けない」のか
本稿の出発点は、BCPそのものへの否定ではない。
むしろ、日本企業がこの30年にわたり、どれほど真摯に災害と向き合い、制度としてのBCPを積み上げてきたかを、正面から評価したうえでの問題提起である。
阪神・淡路大震災から30年。
東日本大震災から15年。
この間、日本社会は幾度となく大規模災害に直面し、そのたびに「教訓」が語られてきた。企業もまた、その教訓を制度に落とし込み、耐震化、非常用電源、通信の多重化、安否確認、代替拠点の確保といったBCP施策を積み重ねてきた。
今日、多くの企業において、BCPは「未整備」ではない。
「整備されていて当然の前提」である。
にもかかわらず、現実の災害対応や重大インシデントの場面では、組織が止まる。
判断が遅れ、現場は動けず、復旧は長期化する。
そして結果として、社会的信頼を損なう。
この現象は、特定の業種や一部の企業に限られたものではない。
むしろ、設備が高度で、管理が行き届いているはずの企業ほど、動けなくなるという逆説的な現象すら観察される。
なぜ、このような事態が繰り返されるのか。
これまで多くの場合、その理由は
「想定を超えていた」
「被害が大きすぎた」
という言葉で説明されてきた。
しかし、それは結果の描写に過ぎない。
本質的な問いは、
なぜ“想定外”が起きた瞬間に、組織は一斉に判断力を失うのか
という点にある。
阪神・淡路の現場は、なぜ動けたのか
1995年の阪神・淡路大震災当時を振り返ると、インフラは現在よりも脆弱で、情報も圧倒的に不足していた。
それでも、多くの現場は比較的早く動き出した。
理由は明確である。
現場に「判断できる人」がいた。
設備・エネルギー・建物の全体像を、頭だけでなく身体感覚として理解している人がいた。
どの設備を止めれば、どこに影響が出るのか。
どこまで無理をすれば、何が壊れるのか。
その判断を、専門用語ではなく、自分の言葉で語れる人がいた。
ここで重要なのは、当時の現場が精神論的に優れていた、という話ではない。
設備・運用・判断が、まだ一体として存在していたという構造の問題である。
設備をどう使っているかを、現場が知っていた。
現場の状況を、管理者が理解していた。
そして、判断が現場に下りていた。
BCPが「紙の計画」ではなく、身体化された知識の延長線上にあったのである。
現代企業に起きている「別種の停止」
一方、現在の企業はどうか。
設備は高度化し、自動制御が進み、エネルギー供給は安定し、情報は瞬時に共有できる。
一見すると、30年前よりもはるかに「高度」な企業になっている。
それにもかかわらず、有事になると
「誰も判断できない」
「誰も全体を説明できない」
状態に陥る。
設備は残っているのに使えない。
非常用電源はあるのに、切り替え判断ができない。
エネルギーはあるのに、どの業務を優先すべきか決められない。
これは、設備が壊れたから止まるのではない。
「分からないから止まる」という、現代特有の停止である。
この停止は、偶発的な事故ではない。
構造的に生み出されてきたものである。
なぜ「分からなくなった」のか ― 現場から見えた構造
様々な企業や現場ヒアリングを通じて、浮かび上がってきたのは、次の事実である。
• 情報化・DXは、業務を効率化したが、判断の背景を見えにくくした
• 分業化・外注化は、専門性を高めたが、全体像の理解者を減らした
• 要員削減は、生産性を高めたが、冗長性と裁量を奪った
これらはすべて、平時においては合理的な経営判断だった。
問題は、
仕事の思想や組織の前提を更新しないまま、
仕組みだけを高度化してきたことにある。
その結果、
• 経営は、設備やエネルギーを「数字」でしか語れなくなり
• 現場は、判断権限を失い
• 専門家は、部分最適の中に閉じこもる
組織は、意図せずブラックボックス化していった。
BCPは、そのブラックボックスの上に積み上げられた。
だから、有事になると、マニュアルに書かれていない事象が起きた瞬間、組織は立ち尽くす。
南海トラフ地震が露わにする「経営の空白」

南海トラフ巨大地震が突きつけているのは、
「どれだけ耐えられるか」という技術的な問いではない。
どこを止め、どこを残し、
誰が、どこまで判断できるのか。
この問いに、経営として答えられるかどうかである。
言い換えれば、
BCPが動かないのではない。
経営の判断構造が、非常時に耐える形になっていないのである。
ここで、問題は完全に「災害対策」の領域を超える。
BCPは、経営の問題である。
第1部の結論
第1部の結論は明確
BCPが機能しない理由は、
設備が足りないからでも、
訓練が不足しているからでもない。
BCPを支える組織と経営の前提が、すでに崩れている。
南海トラフ地震が突きつけているのは、
「備えの量」ではなく、
判断できる経営構造を持っているかどうかである。
【次回第2部の予告】
人口減少・都市構造・DX・電化が
なぜ「復旧を難しくするリスク」へ変質したのかを、
さらに深く掘り下げる。
